音の葉インタビュー3 中澤頼子 ピアノ

聞き手・文 = 進藤一茂(音の葉スタッフ/デザイナー)

中澤頼子インタビュー

chapter1

大学ではソリストのコースを取られていたんですよね。ソリスト特有の身体の使い方ってあるんですか?

あります。

ソロの演奏では、ひとりで大きな会場のすみずみまで音を届けなければなりません。そのためのポイントはいくつかありますが、ひとつは大きな音を出すこと。それと、タッチの多様性です。

伴奏の場合は主役を引き立てる役なので、大きい音を出すのではなく、全体のバランスを考えた音づくりの方が大切になってきます。同じピアノでも、弾き方から意識の持ち方など、様々な点で違いがあります。

だから、学生の頃は伴奏ばかりしていると先生にすごく怒られました。「とりあえず今は、伴奏の癖をつけないようにしろ」って。オペラの人がコーラスをしないのと一緒ですね。身体の使い方が全然違いますから。

具体的にはどんなところが違うのでしょう?

そうですね・・「大きな音」「タッチをしっかり」というところで言えば、打鍵のスピードが速いです。指でテーブルを「弾き」ますから、木の音の違いを聞いていてください。

伴奏がこのくらいだとしたら、

ソロのときはこのくらいです。

これは力の強さを変えているのではなくて、打鍵のスピードを速くしているんです。もちろん、スピードだけで音が変わるわけではないので、ひとつの例ですけど。

スピード以外の要素にはどういうものがありますか?

まず、大前提として、どんなときにも忘れてはいけないもっとも大切なことは「脱力」です。

良い音を出すのは、筋肉でも力でもありません。腕が肩から自然に「ぶら下がってる」ような状態、そのぶら下がっている度合いの差でさまざまなバリエーションを付けます。

度合いの差、というのは、私は、打鍵のバリエーションにトライアングルを想定していて、その中の組み合わせで無限の音づくりができると考えています。

トライアングルの頂点は、「スピード」「重さ」「圧力」です。

中澤頼子インタビュー

スピードと重さはわかりますが、圧力とはどういう要素なのですか?

言葉で説明するのがちょっと難しいんですけど、鍵に行くまでの「タメ」という感じでしょうか。肘のあたりから、すぐに 手首 → 指先 → 鍵 って行くのではなくて、それぞれの流れが、ちょっとこもるような、溜めるような感じです。

この「スピード」「重さ」「圧力」のバランスをどこに置くかで、音のニュアンスを変えていきます。[速くて重くて圧力少なめ]と[速くて軽くて圧力多め]では、身体の使い方が違います。

そして肝心なのは、すべての打鍵を「脱力」して行うことです。

中澤頼子インタビュー

chapter2

それでも、すごく長い曲とか、音符がたくさん入った細かいパッセージの場合などは、全体の流れで捉えるのであって、一音一音このトライアングルに当てはめるわけでは無いんですよね?

それがですね、全部の音でこれをやります。

例えば、本番で、ある曲を弾かなきゃいけない、ってなったら、楽譜の全部の音ひとつひとつに、トライアングルがどういう割合かっていうのを書きます。書く、というか決めていきます。

速いパッセージのときでも、「一音目はこのトライアングルのバランスで、手首の角度はこのくらいで入って、二音目はこっちの角度から弾いて・・」という感じでつくっていきます。

ですから大変なときには、それを決めるだけで、1曲に数ヶ月かかることもあります(笑)

なぜそんなことをするのかというと、曲の中のすべての音は、その曲に相応しく意味があるように書かれています。ですから演奏者は、ひとつひとつの音がきちんと「その曲の音」になるように響かせなければなりません。それをつくるのが演奏者の仕事ですし、実はそこが一番面白いところです。

そうすると、はじめはすごく遅いテンポで練習するんですか?

はい、そうです。

30倍くらい遅く弾いて、一音一音決めていきます。そして、それができたらテンポを上げて弾いてみます。もちろんそれでダメなときもあります。そのときはまた最初からやり直し。とにかく音をつくるのが大事なことです。

リサイタルの本番前日なんかは、実際の速さで通すのは1回くらいです。30倍遅いのから始めて、全部の音がちゃんと曲の音になっているかを確認しながら、だんだん速くしていきます。それが身体に入っていれば、速さはどうにでもなりますから。

あ!今思い出しました。この方法をやろうって初めて思ったときのことです。

なにかのコンクールに参加したときのことです。コンクールではみんな自分の控え室で曲を弾いてるんですけど、そのとき、ひとりだけ、なんの曲だか分からないくらい遅く弾いてる人がいたんです。

で、その方の本番での演奏が本当に素晴らしくって、優勝したんです。自分が中学生くらいの時で、その方は高校生くらいでした。それで、ああ、私もこれやってみよう、っていうのがきっかけでした。

それが中学生のときですか。

もちろん、それをやったからって、すぐに自分が欲しい音を出せるようになんてなりません。

十代の頃は、レッスンのときに、例えば悲しい曲を弾いていても、先生から「全然悲しく聞こえないよね」っていつも言われていました。

自分では、「悲しい気持ちで弾いてるんだけどなあ。精一杯悲しくなってるんだけどなあ・・」って思ってました。

当時は心を込めることに120%のエネルギーを注いでいたんです。「この作品はこういう曲だから、それに対する自分の気持ちはこうなんだ!」って。でも、録音してみると、その気持ちとはかけ離れた音になっていますから、じゃあまだ気持ちの入り込み方が足りないんだ、っていう感じです。

そういうことが続いていく中で、「これは気持ちじゃない、技術なんだ」ってことにだんだん気がつきました。「音をつくる方法」っていうのがどこかにあって、それを見つける、研究することが、悲しい曲を悲しく聞こえるように演奏するために必要なことなんだ、って。

それから深く研究するようになってあみ出したのが、このトライアングルです。

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chapter3

今お話しくださったことは、ものすごく細かい世界の話だと思うんですけど、ピアノっていつでも自分の楽器を弾けるわけではないですよね。初めて触れる楽器に対したときに、そこまで細かいことができるものなのですか。

そうなんですよ。楽器については毎回、どんなかなあって思います。

でもだからといって、今お話ししたことができなくなることはありません。現場のピアノに合わせて、自分が作っていったそれを、全部その場で変換します。楽器はお天気によっても状態が変わりますし、調律による違いもありますし。

本番ではリハーサルがないこともよくありますから、弾き始めが勝負ですね。私の先生などは「弾き始めて5秒で対処しろ」って仰います。はじめの5秒で、そのピアノの特性を理解して、つくっていったトライアングルを全部シフトします。

何か大会などに出るって決まったときには、色んなスタジオに行って、色んな楽器に触れます。そうすることで、本番で慌てるようなことはなくなります。シフトといってもとても微妙な調整ですから、やりたいことの軸がぶれなければそれほど大きくは変わらないです。

なんだか、僕にとっては驚くような話ばかりです。

ですけど、今言ったようなことは全部、最終的には捨てます(笑)。

これは「無意識の意識化」ですね。

(※このインタビューの時点で、中澤さんはこれまでのインタビュー記事は読まれていないようでした。それにもかかわらず、第一回目・星野沙織さんと全く同じ言葉を使われたので、本当に驚きました)

自分が無意識な状態で自然にできるようになるまで、とことん意識化するんです。

わかります。ヴァイオリンの星野沙織さんも全く同じことを仰ってました。

へえ~!嬉しいな!

本番当日になったらそんなことは全く考えません。その日の楽器に対したときに、さっきの「5秒」の調整はします。でもそれも、まあ、言ってみれば無意識的にやっているのかなあ。

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chapter4

ところで、中澤さんは背が高いので、ソロを弾くという点ではやはり有利なんですか?

そうですね。

私、手が華奢なんですね。学校でも「なんだこの手は」ってよく言われました。海外に行ったときなど「これは、ニシンですか?」なんて言われて(笑)

背が高くて腕が長いから、テコの原理のような感じでボリュームが出せるけど、この手でもし背が低かったらピアニストとしてはやれないよ、感謝しなさい、って。

ただ、ピアノのレッスンをしていて生徒さんを見ていると、身体って本当に一人ひとり違うなあって思います。だから、その人なりの身体の使い方で、いかにいい音を出すか、ということだと思っています。

まあそうは言ってもやっぱり私にはラフマニノフは弾けないし、身体的な向き不向き、というのはありますね。

作曲家によって、弾くときの身体の違いってあるのですか?

ありますあります。例えばベートーヴェンを弾くときとショパン弾くときでは、身体のモチベーションが全然違います。

ベートーヴェンを弾くときは、基本的にあまり動かない。周りの空気もシンと動かないような感じで、体重が20kgくらい増えたようなつもりで弾きます。腕がしなやかになびく、というような動きは皆無で、手首が固定されたような、肘から下が淡々と動く、といったイメージです。腰から上は動かさずに、さらにピアノとの距離がちょっとあって・・という風に、演技するみたいな感じになります。

ベートーヴェンモードの身体になるわけですね。

そうです!

ショパンは逆に、しなやかに動く感じです。上体も風になびいて揺れるような、優雅な身体ですね。ドビュッシーだと、自分の身体をふわーっと浮かせるような感じ。モーツアルトは、童心、子供になったような、なんにもない、まっさらな感じで、シューベルトだと、上から自分が自分を見てる、みたいな幽体離脱しているような感じです。

もちろんこれは、私の解釈です。すごく簡単に説明してしまいましたし、作品によっても全然違いますから、一概には言えませんけど。

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chapter5

弦楽器や管楽器では、自分の身体を共鳴させて音を出すそうですが、ピアノはそういうことはないですよね。

そうですね。身体に響かせるのではなく「ピアノと合体」みたいな感じですね。ピアノの前に座って「がっ・たい!」って身体が大きくなります(笑)

ピアノって手元(鍵盤)ばかり気にして弾いている方が多いんですけど、音が出ているのは大きなボディの方ですよね。だから私は、なるべくそちらを意識して弾くようにしています。

面白いですね。車を運転するときに自分の身体感覚が車体の大きさに拡張されるような感じでしょうか。そうすると、グランドピアノとアップライトでは全然違いますね。

全然違います。グランドピアノが車だとしたら、アップライトは自転車くらいの感じです。巨大化する感じはグランドピアノの方が大きいですね。

だけど、どっちが良い悪い、好き嫌い、ではなくて、それぞれに違いがあるだけです。

あ、グランドピアノとアップライトの違いということで思い出しました。先ほどの、弾くときの微妙な調整の話に戻りますけど、グランドピアノとアップライトではハンマーの仕組みが違うので、打鍵のタイミングを変えますね。

グランドピアノは弦を叩くハンマーを鍵で直接動かしますけど、アップライトは、鍵を叩くとまずハンマーを動かすためのアームが押されて、それからハンマーに力が伝わるので、ぴょんぴょんって、ふたつ動くんですね。倍とまではいきませんけど時間差があるんです。

だから、それを計算して、弾くタイミングを変えます。でも、なんて言うのかな、もう「合体」してるので(笑)、そんな窮屈なイメージではなく、ピアノも身体の一部みたいな感じで、自然にそうなります。

中澤頼子インタビュー

脱力をして、ピアノが身体の一部になって、って、なんだかとても自由な感じですね。

脱力することと同じくらい大切なことに、呼吸があります。

例えば、腕をゆっくり下ろしたいときに、息を止めたままではきないと思うんです。腕を下ろすときのすーっていう息づかい、また逆に速く弾く場合でも、呼吸を止めたら音になりません。フレーズが長い時は息をゆっくり少しずつ吐き出します。歌を歌うのとまったく同じですね。

呼吸は、音そのものとすごく連動してます。それは「自然である」っていうことだと思うんです。息を止めたり音使いに逆らうような呼吸をしていては、気持ちの良い流れはできません。

とにかく自然にしていることが、一番音楽になることだと思うんですよね。

今日お話ししたようなことって、一つの答えがあるわけではなくて、きっとみんなそれぞれが一生かけて考えていくことだと思うんです。ただ、「自然であること」の大切さっていうのは、きっとどんなときでもあるんじゃないかなあって思っています。

中澤頼子インタビュー

中澤頼子
2008年国立音楽大学演奏学科卒業、及び第一期ソリストコース修了。
2010年同大学大学院音楽研究科修了。
2006年国立音楽大学国外奨学生に合格、ポーランド国立ショパンアカデミー学院の夏季セミナーに参加。マリア・シュライベル教授に師事。
これまでにショパン国際ピアノコンクールin Asia奨励賞、ヤングアーチストピアノコンクールE部門銀賞、日本演奏家コンクール入賞、ほか国内コンクール受賞多数。
学内公開レッスンにて、ミシェル・ベロフ、ダン・タイ・ソン、P・ドワイヨン、練木茂夫、若林顕各氏のレッスンを受講。
2006年より松川儒氏主催の川西町フレンドリークリニックに参加。2004年より世田谷ジュニア合唱団と共演、ビクターエンターテインメントより「NEW!心のハーモニー」シリーズを発売。2009年TOKYO FM「小泉今日子のNICE MIDDLE」にて朗読ドラマの音楽を担当、ソロ演奏を行う。2008、2009年JMC日本経営者クラブ主催「若い音楽家を励ますサロンコンサート」(サントリー小ホール)に出演。
ソロでの活動の他、室内楽、声楽伴奏、またクラシックのみにこだわらず、劇団四季指揮者平田英夫氏のもと、数々のミュージカルライブにも出演、幅広く演奏活動を行っている。
これまでにピアノを鈴木スエ子、小畠康史、小畠伊津子、加藤一郎の各氏に師事。