人生の出逢い

2019年3月13日(水)

先日 『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ 』という映画を観た。
アルゼンチンの作曲家 ピアソラの生涯を追ったドキュメンタリーだった。

ピアソラは 8歳から15歳まで 家族で ニューヨークで過ごした。
家は貧しくて、貧困層が住む場所に住んでいた。
ある日、ピアソラの父親は 中古屋で バンドネオンを買ってきた。
ピアソラは 毎晩 毎晩 それを弾いた。
その度にお父さんは「うまいなぁ、うまいなぁ、天才だ」と褒めた。
ピアソラは それが嬉しくて 一生懸命練習して またお父さんの前で弾いた。
そしてまた褒められた。
ピアソラは お父さんが大好きだった。

一家はまたブエノスアイレスに帰る。
ピアソラは バンドネオン奏者になっていた。
しかしすでにタンゴへの限界も感じていた。

クラシックの作曲家に 教えを乞うた。
ピアノのレッスンも受けた。
妻と子どもがふたりいた。

ある日、奨学金がおりて パリに留学する。
タンゴと決別して、クラシックの作曲家になるために。
そして パリで 出逢ったのが ナディア・ブーランジュという女性教師だった。

ブーランジュ先生のレッスンは とても厳しかったそうだ。
レッスンの中で 生い立ちを話すように言われ、
ピアソラは しかたなく ブエノスアイレスに妻子がいること、
バンドネオン奏者だったことを打ち明ける。

ブーランジュ先生は ピアソラに バンドネオンを弾いて聴かせるように、と言った。
ピアソラは タンゴを捨てるつもりだったが、バンドネオンはパリに隠し持ってきていたのだ。
(映画では そうなっていたが、実際には ピアノで自作のタンゴを弾いたそうだ)

「あなたの中にはタンゴがある。あなたは タンゴを書くべきだ」
ブーランジェ先生の一言で ピアソラは ブエノスアイレスに戻る決心をする。

帰国後、エレキギターも取り入れた八重奏団を結成、革新的なタンゴを発表するが、
踊れないタンゴに 激しい非難、脅迫まで受ける。
父と同じように家族を連れてニューヨークに移住する。

しかしニューヨークの生活は 食費にも困るほどの困窮を極めた。
そんな中、アルゼンチンから 最愛の父の訃報が届く。
失意のどん底で書いた曲『アディオス・ノニーノ』
たった30分で書き上げたこの曲は ピアソラの代表曲のひとつとなった。

帰国後、ジャズやクラシックの要素を大胆に取り入れて、作品としてのタンゴを確立したピアソラ。

ピアソラは 人生において重要な鍵を握る2人と出逢った。
ひとりは ピアソラを天才だと信じ抜いた 父親。
そして もうひとりは パリで出逢った ナディア・ブーランジェ先生。

誰の人生にも 転機がある。
何かに必死に向かっているすべての人には 人生を決定づけるキーパーソンが
いるんじゃないか、と思った。
人生を振り返った時に「あの時にあの人に出逢えたからこそ」と思える人が。

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