音の葉インタビュー2 下払桐子 フルート

聞き手・文 = 進藤一茂(音の葉スタッフ/デザイナー)

下払桐子インタビュー

chapter1

ひとつ素朴な疑問、というより単なるイメージなのですが、歌や管楽器って弦楽器や打楽器などに比べてメンタルの影響が直接演奏に響くような気がしてしまうのですが、そういうことはないですか?

それは演奏者それぞれの特性であって、楽器による違いというのは無いと思います。管楽器は息を使うのでそういうイメージがあるのかも知れませんが、「演奏する」ということにおいては、息も腕も背中も同じように精神的な影響を受けますから。

ただ、私の話をするなら、本番前はいつもとても緊張します。だから、それをどのようにコントロールするかというのは、長い間の課題でした。

フルートを吹くことは、もちろん自分の感情の表現でもあるのですが、演奏中は「普段の自分」とはちょっと別の所にいるので・・・いえ「いた」ので、体の調子が悪いだとか、精神的に落ち込んでいるとか、そういう「普段の自分に付帯すること」をシャットアウトしていたようなところがあります。

それが、ここ数年で変わりました。

どんなときでも自分の状態を冷静に見つめていると、例え精神的に落ち込んでいたとしても、それに上手に対処して演奏できるようになります。つまり、メンタルによって大きく調子が変わるということがなくなるんです。

どんなときも冷静に見つめる、というのはとても難しいように感じますが。

経験を積むことで色々なことが分かってきました。

例えば、今、私は何人かの生徒さんにフルートを教えています。レッスンで生徒さんが吹く姿を見ていると、肩に少し力が入っているから音が伸びないんだ、とか、不自然な体の傾き方をしているから体のある箇所がきっと痛くなるだろう、とか、そういうことが分かります。

それはもちろん自分が体で覚えてきたことだから見えてくるんですけど、自分のことって感覚的に捉えてしまいがちです。生徒さんに接することによって、自分がなんとなく感じていたことを、はっきり意識できるようになったりします。

そうした、たくさんの経験の積み重ねで、「自分への意識」が高まったんだと思います。

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chapter2

自分への意識が高まることで冷静になれる、ということですか?

そうですね。例えば分かりやすい話をしますと、演奏中に「あ、緊張してるな」って感じたときに、どこに力が入ってるかな、って吹きながらそちらにも意識を巡らせます。足がちょっと固いなって思ったら、軽くステップを踏んでほぐしたり、最後ちょっと息が足りなかったなって思ったら、その原因は体のあそこが緊張しているからだ、だからそこを弛めてもっと深く呼吸しよう、と考えます。

自分に対する意識、中でも、身体に対する意識に自覚的でないと、そういうことには気づけません。気づけないと原因が分かりませんから、対処をしないか、はじめに話したように「シャットアウト」するしかありません。

そうすると、とても「ムラ」のある演奏になってしまいます。

私、昔は、本番で大きな失敗を必ずひとつはしていたんです。「ああ、私って完璧な演奏が絶対できないんだ」って思っていました。でもその一方で、本番が終わったときの満足感のようなものはすごく大きかったんです。自分の世界にどっぷり入り込んで「やってやったぜ!」みたいな感じです(笑)

ところが最近は、心が静かなので、そのような「熱狂する満足感」は無いんです。それは自分にとっては寂しいことなんですけど、不思議なことが起こりました。

以前は、演奏を聴きに来てくださったお客様からのご感想が「吹いてる姿が楽しそうだったね」というものだったのに、最近は、「演奏が変わりましたね、とても良かったです」という言葉をいただくことが多くなってきました。中には泣いてしまう方もいらっしゃったりして。

昂揚して自分の心は満足していた頃はお客様の反応はサラリとしていて、逆に、自分は冷静に色々なところに気を配って熱狂しない方が、お客様の感想に熱いものが多くなった。

これは私の経験なので他の演奏家の方がどう感じているのかは分かりませんし、これが本当に良いのか悪いのかまだ答えは出ていませんけど、音楽家ってそういう仕事なのかなあ、って思ったりしています。

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すごく面白いですね。演奏する姿を見ているだけでは分からないことがたくさんありますね。

身体への意識ということに話を戻しますと、私は普段から指のストレッチを欠かしません。これは一般的なメソッドというものではありませんが、フルートは音階ごとに指の形が違いますから、すべての指使いでストレッチをします。

それは指がよく回るようにするためのエクササイズなのですが、その他に、外側からの刺激によって指に対しての意識を高めてあげるという意味もあるんです。指が、いつでも、より鋭敏に細かい感覚で反応できるような状態にしておくんです。

それから、これは割と最近の話なんですが、レッスンを受けたときに、先生から「この辺(脇腹の裏側あたり)を意識して」って言われたんです。でも、そこをどうやって意識すればいいのかよく分からなかった。

耳を動かせる人ってときどきいるじゃないですか。でも動かせない人にはどこにどう力を入れれば良いのか分からない。それと同じような感じで、先生の仰る場所にどう意識を持っていったらいいのか分からなかったんです。

それ以来、そのことをずっと気にかけていたら、だんだんとその部分に回路がつながっていって、動かせるようになりました。

そういう風にして、身体の感覚をいつも鋭敏な状態にしておくことや、鈍いところを敏感にしていくことが、演奏するときの冷静さにつながっていきます。

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chapter3

お話を伺っていて、「冷静」という言葉が、一般的な意味とは少し違うように感じてきました。

うーん、そうですね・・「ものごとを素直に感じ取れるありよう」という言葉が近いでしょうか。

目で見えることや耳で聞こえることはもちろん、周りの空気、とか、全体の流れ、そういったものも感じられるような状態。アンテナを高く張ったような感じです。

例えばそれは、オケに入ったときのことをお話しすると伝わりやすいかもしれません。

前に見える弦楽器の弓の速さとか、後ろに感じるクラリネットの息づかいとか、目に見える耳に聞こえることにはもちろん気を巡らせます。ですがそれ以外にも、(頭の横少し上あたりを手で回すようなポーズをしながら)「この辺」に集中して、音楽のタイミングみたいなものをはかります。

それは、見たり聞いたりしていると一呼吸遅れてしまうような、「流れ」とか「気」とかそういうものだと思うんですけど、それをキャッチできるようにしておかなければなりません。

どのような場面でも、身体を「受容する状態」にしておくことが大事なんです。

「受容する身体」ですか。

音楽にはひとつの正解ってありません。それぞれに違いがあるだけです。

そのとき奏でられた音楽がどのようにお客様に届けられたかっていうのは、本当にタイミングというか、その日の場の雰囲気であったり、演奏家の気持ちであったり、お天気や湿度や、様々な要因が絡み合って出来上がるものです。

そういった、その時々で毎回違う、二度と同じ組合せが訪れない尊い瞬間を素直に感じられるような身体にしておかないと、「命が通った音楽」にはならないと思うんです。

私はフルートを演奏するときに、聴いてくださる方に、とにかく曲の素晴らしさを伝えたいという気持ちで臨んでいます。でもそれは、ただ楽譜をなぞればできるのかというと、決してそうではありません。

たくさんの作曲家が遺してくれた偉大な曲の一部になるには、いまこの空気を感じることが大切だと思っています。

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下払桐子
東京都出身。国立音楽大学卒業。卒業時に武岡賞受賞。
これまでにフルートを佐久間由美子、斎藤和志、大友太郎、菅井春恵、平木初枝の各氏に師事。
第81回読売新人演奏会、第15回ヤマハ新人演奏会、第38回フルートデビューリサイタル等に出演。また、小澤征爾音楽塾オーケストラプロジェクトⅡに参加。2011年、2013年アルバ音楽祭(イタリア)にて、ルーマニア国立オーケストラと共演。
第5回仙台フルートコンクール一般部門第1位。第15回日本フルートコンヴェンション ソロ部門第2位。第17回びわ湖国際フルートコンクール一般部門第1位。第4回岩谷時子賞「岩谷時子 Foundation for Youth」受賞。

ブログ:フルート奏者の一日